ストーリーがないということ

ストーリーがないということは、

「社会的に成功を収めることができました」も

「(物理的)に豊かになることができました」も

「二人は結婚し、子宝にも恵まれ、女性としても、母親としても、愛し愛され、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」も

「重い病が完治しました」も

「この年齢にして、この美しさ!その秘訣は・・・」も

ないということだけど、

それは、どういうことかというと、

「わたしは人生の負け組。人生の敗北者。成功にふさわしくなかったわたしは、みんなのキラキラした生活の影に隠れて、貧しさを受け入れて、屈辱感や劣等感や惨めさをなんとか紛らわしながら、身の丈にあった暮らしをするしかない」も

「取り返しのつかない失敗をしでかしてしまった。もう一生貧しく不幸に暮らすしかない」も

「大切なあの人を傷つけてしまった。わたしにはもう恋愛も結婚も向いていない。独身で生きていくしかない」も

「一生一緒にいるという約束をしたのに、分かり合えず、傷つけあい、別れるしかなかった」も

「難しい重いの病」も

「あの件でストレスを抱え、苦労したからなのか、一気に老け込んで、誰にも見向きもされず、孤独に惨めに暮らしましたとさ」も

ない、ということ。

命のままに踊ることはあっても、再解釈に助けられることはあっても、解釈に踊らされることがない、ということ。

「それは一体、どういうことなのか?」という「声」が聞こえる。

そして、今、わたしの中に思い出された言葉がある。

もしあなたがこの世界を意味のないものとして受け入れることができ、そこにあなたのために真理が書き込まれるままにすることができたなら、それは言葉に尽くせないほどあなたを幸せにすることだろう。

しかし、それが意味のないものであるからこそ、あなたは自分が望む世界像をそこに書き込まずにはいられない。

あなたがこの世界の中に見ているのは、これである。

真に意味のないものというのは、これである。

あなたの言葉の下には、神の言葉が書かれている。

今は、真理はあなたを動揺させる。

しかし、あなたが書き込んだ言葉が消し去られた時には、あなたは神の言葉を見るだろう。

(W-pI.12.5:3-8)

”言葉に尽くせないほどの幸せ”で現実に生きる。

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